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「気づき」の迷宮――サティの実践とは何か?(MP4動画zip圧縮)

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【概要】 初期仏教では「解脱・涅槃」への一本道として四念処の実践(気づきの実践、ヴィパッサナー瞑想)を指導します。それは「いま・ここ」の瞬間に何が起こっているかに気づくサティ(sati 念,気づき)の実践として説明されています。  このサティには複数の意味があります。大きくは、A.瞬間瞬間の気づき・注意・不放逸、B.特定の(冥想)対象・法に心をかける、C.単なる記憶作用、にわかれます。日本などの北伝仏教では、サティ(サンスクリット語ではsmṛti)はBやCの意味で取られることが多く、テーラワーダ仏教の「気づきの実践」が紹介されるまで、「気づき」としてのサティは忘れられていました。むしろ「念仏」という言葉にみられるような、仏教に関連したイメージや言葉を繰り返し想起し続ける(念じ続ける)ことがサティの実践と解釈されてきたのです。  一方、「気づきの冥想」を伝えてきた南伝のテーラワーダ仏教にも、いわゆる「念仏」に相当する仏随念などの実践が伝えられています。これらはどのように関連付けられるべきなのでしょうか?  サティが「気づき」と訳されたことは多くの人々にとって福音でしたが、一方で新たな弊害も起きています。いわゆるスピリチュアル系の教えや、自己啓発セミナーなどでも盛んに「気づき」という言葉が用いられていることです。英語でサティがawareness,mindfulnessなどと訳され、その訳語に乗っかった形で神秘主義的な、また欲にまみれた「気づき」の大安売りが始まっているのです。  今回の初期仏教講演会では、長い仏教の歴史の中でさまざまに用いられてきた「サティ」の意味を様々な角度から分析して、お釈迦様が語られた「サティ」の真髄に迫っていきたいと思います。(2012年1月14日 国立オリンピック記念青少年総合センターにて収録 商品番号:V-219) ※スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会を完全収録したMP4動画ファイルです。ダウンロードしたzipファイルを展開(解凍)してご視聴ください。ライブ収録のため、一部画面の乱れ、音声の聞き取りにくい箇所があります。予めご了承ください。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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